どうすればよかったか?
当院では重度の統合失調症の方が
ご来院することはないのですが
とても考えさせられた映画
医療者して関わると
診察室であっても病棟であっても
患者さんの一面からしか見えません。
もちろん病棟では衣食住の生活は見えますが
あくまで病院という箱の中での
本人の一面に過ぎない。
統合失調症の姉
両親の判断で20年以上
自宅に南京錠をかけられていた。
製作者の弟は20年に渡り
生活のやりとりから出来事の記録を
ありのままの家族に対して
カメラを回し続けました。
何が正義とか悪とかという主張は
一切削ぎ落とされた観察記録
(以下ネタバレ含みます)
医者であり親であるという悪意のない牢獄
学業多彩だった10代の頃の姉
医学部に期待固執する両親
ある時統合失調症を発症した姉
世間体から精神医療への不安から
一度だけ精神科を受診したのを最後に
自宅で見る選択をした両親
隠すという選択は本当に子供のためだったのか?
親の見栄?親のエゴ?
そこに反発するのではなく
人生において
統合失調症という表現から対峙した娘
統合失調症の滅裂状態という表現をまとって
ようやく垣間見れる父への怒り
なぜかそこに娘の愛を感じました。
もっと早く精神医療と繋がるべきだった
という単純な社会啓蒙のメッセージではなく
一家族のありのままの物語
誰も責められなかった
ただそういう選択の結果
そういう状況に置かれた家族
このフラクタル構造は
全ての家族に言えるのはないでしょうか。
家庭内にカメラを回す
直視できる人が愛を持って直視し続けない限り
この物語は世に出ることはなかったでしょう。
生きるとはどんな社会的な現象表現系より
何を感じで学びたくて生きるのか
それを各々がやりにきているのではとすら思えました。
もちろん治療が開始された影響もありますが
両親が歳をとって弱っていくにつれ
ご本人が本人らしさを取り戻していくんですよね。
母が認知症で亡くなり
姉もがんで亡くなっていく
私の衝撃はラストシーン
90歳を超え車椅子でよぼよぼ介護状態の父
その父に対して
「本当はどうすればよかったか?」を問う製作者
パパはママのことを思って
病気とはわかっていたけど
それを選択しなかったんだ
ただこの人生を失敗したとは思ってない
いろんなシーンや表情の中で
父も娘もどこか深いつながりがあるんですよね。
正義や正解なんて何一つなく
あるのは各々人生をどう生きたいのか
その自由意志とあり方だけは
誰にも奪うことはできない
そんなことに気づかされた映画でした。